アトランティス サンサルサ州コミヌンのバケット
数ヶ月前に引っ越しをした。
大阪の端から、中央に近いあたりに来た。
少しおしゃれ街を気取っていて鼻につくが、様々な町へのアクセスが良いのだけは利点だ。
夜に散歩に行くのだが、この辺りは治安がいい。
繁華街からは少し距離があるので、ヤンチャな種族が少ない。
偏差値の高い学校も点在し、それに合わせるように高級そうなマンションも立ち並ぶ。
それにしても、セレブマダムはパン屋が好きだ。
マダムがいるところにパン屋が出店するのか、
パン屋があるところにマダムが住み着くのか。
この命題に違わず、私の住処の近所には複数のパン屋が存在する。
複数と表現したが、実数は3件だ。
この三件を仮にA店、B店、C店とする。
私が調査したところによると、この3つの店舗は下のような序列がある。
配点分配 1位100% 2位50% 3位30%
味(配点30点) A>B>C
品揃え(配点25点) B=C>A
マダム人気(配点15点) B>C>A
老舗感(配点15点) A>B=C
知名度(配点15点) C>B>A
総合点 A店 77.5点 B店 70点 C店 65点
私の観測結果からすると上記のような結果となる。
また、点数には加えていないが、店の規模はB>C>Aとなる。活気も同様。
私はマダムが嫌いなので、必然的にマダム人気の低い店を優先することになるが、
間違いなく味もよく、また総合点でも上回っており非常に満足して通っている。
少し前の私であれば、パン屋といえば惣菜パン、とりわけカレーパンがうまい店が一番良い店と考えていた。
しかし、パン屋で惣菜パンをたくさん買うのは非常に愚かな選択であることに気づいた。
パン屋で買うべきは、バゲットである。
惣菜パン、菓子パンのように手間がかかる品ではない為価格も比較的安価であり、一人暮らしの強い味方である。
きっともう言い古されているであろうが、バゲットが美味くない店はハズレであるとまで言えるはずだ。
週に何度かバゲットを買いに赴き、家でバゲットに合う料理を作り、頂く。
非常に有意義に感じる食事だ。
先日はビーフシチューをデミグラスソースから手作りした。
そして失敗した。
洒落臭いと言いたいならば言うがいい。
私はその言葉を一身に受け止めよう。そして私はそれを優しく慈しみ深く愛を持ってバケットに挟んで食べるだろう。
アトランティスがバゲットの発祥の地であるという話を耳にした。
いてもたってもいられず船を予約した。
アトランティス付近の天候はあまり良くなく、また近海に埋まっているレアメタルなどのせいで精密機器類に異常をきたしてしまう。
そのため飛行機での直通便は無く、日本からであれば船便が一番早く行ける交通手段なのだ。
ちなみに船の時間は3〜8日。天候も良く航路が安定して取れれば3日を切ることもあるが、荒れればもっとかかる可能性がある。それでも付けるかどうかは賭けだ。
多くの旅人が口を揃えて言うが、旅路は非常に恐ろしい。
アトランティス近海に入ると波は大きく荒れ出す。
海洋生物も大きなものが多く、ダイオウイカが捕食されているところが普通に目撃できる。
噂では首長竜が住んでいるとか。私は見れなかったが、船長は2度ほど遠くに見たと言っている。
私の見立てでは恐怖のあまりに脳が混乱し生み出した幻覚だ。
これだけ辛く厳しい仕事をしている船長にそんなことは言わないが。
船はあまり大きくない。
しかし、内装は豪華だ。
きっと船員や乗客の恐怖を少しでも和らげようとの配慮と思われる。
絨毯はモサモサのふわふわで、転んでしまっても大きな怪我をしないだろう。
壁も心なしか柔らかめだ。
随所に怪我防止の工夫が凝らされている。
おそらくだが、過去に揺れのために転倒し怪我をしたアメリカ人に訴えられたのだろう。
船はアトランティスの北西部の港クベートに着港する。
クベートからコミヌンはおよそ1220Kmあり、ここからもう一度旅をする。
アトランティス内の気候は非常に安定しており、移動はあまり困らない。
港のすぐ近くに飛行場が設置されており、特別待つこともなくすぐに飛行機にも乗ることができた。
海外から情報が入ってこないのか、もしくは観光客向けの仕様なのか、飛行機に乗ろうとしたら大きめの複葉機のような乗り物に乗せられた。
複葉機など、正直博物館や歴史資料館でしか見たことがない。本当に飛べるのか?これは悪い冗談なんじゃないのか?と頭がぐるぐるしているうちにエンジンのかかる音が聞こえてきた。
ああ、まずい。まだ人生には未練たらたらなのに。HUNTER×HUNTERの最終回だって読めていないのに。
ガタガタと機体が揺れ出し、機体のあちこちからギシギシという歪みの音が聞こえ出し、風圧で一枚また一枚と装甲が剥がれていく、かと思っていたが、エンジンが掛かってからは非常に静かだった。静かなまま離陸し、静かなまま飛行し、静かなまま着陸した。
どういう技術なのだろう。1220Kmの距離をおよそ1時間で移動できた。
アトランティスは凄いとは聞いていたが、この国に足を踏み入れてからまだ1時間半だというのに、驚きしか感じられず、他の情報を一切取り入れられなかった。
空からの景色、見てなかったな。
そんなこんなでサンサルサ州の空港に着くことが出来た。
まだ着かないのだ。
ここからバスで40分。
コミヌンはアトランティスの中央西寄りに位置しており、高原の平野だ。
気候としては一年を通してあまり高くなく、乾燥している。
ここは、世界で初めてパンが作られたと言われている地域だ。
アトランティスは海の状況もあり、ほぼ全て自給自足で賄っており、コミヌンが国中の小麦の87%を生産している。
小麦の生育条件として気候は、育成期で14度、収穫前の成熟期で20度程度とバッチリ合っている。
他の生産品はほぼ無い。
小麦だけを作っている村だ。
バス停を降りると、肥料の匂いが鼻をついた。
私は絶望した。
こんな中でバゲットを食べてもきっと美味しくない。
小麦の香りと牛の糞の臭いが合わさると、最悪の思い出になるだろう。
私は必死で臭いから遠ざかり、香りを探した。
思いつきで旅をしたことを後悔したことは何度もあるが、久しぶりに失敗したと思った。
パンが生まれた地なのだから、そこら中にパン屋があるに決まっているという思い込みがあった。
探そうにもまずメインストリートもない。
強いていえばバス停の周りが一番民家が密集しているが、客商売をしているらしい看板がひとつもない。
目を血走らせ、足を土管にして探したが、人だかりはおろか商売の尻尾も掴めなかった。
一体ここに暮らす人々はどうやって生活しているのだろうか。
下調べひとつせず赴いたことを深く反省した。
バス停のベンチに腰を下ろし、7時間後にくる帰りのバスをただただ座って待っていた。
畑の肥料の香りが心地良くすら感じられてきた頃に、「旅行ですか?」とハッキリとした日本語が聞こえてきた。
あぁ。この肥料に含まれる何らかの成分でトリップしてしまったのだ。
再び幻聴が話しかけてくる。「日本の方、ですよね?」
7時間もの時間を潰さなければならないのだ。
幻聴と会話でもしなければ乗り越えられない時間だ。
さて何と返すか。
まずは挨拶、ごきげんようと返答しようとした。
そこには平べったい草履のような、まさに日本人の標準の顔をした人間がいた。
幻覚ならばせめてもっと美形であってほしい。
「この辺りはレストランも商店もないんですよ、すみませんね。」
「ああ、そうなんですね。パンが産まれた地ということで食べようと思って来たのですが。」
「そうなんですか。もし宿が決まっていないようなら、うちに来ますか?あっちの畑管理してるんですが、ちょっと今人手が足らないので、手伝ってくれるならですけど。」
幻覚の草履に連れられ、小麦畑へ向かう。
この草履はなんのだろう。
私を安心させたいのなら優しい瞳の老婆だろう。
サラサラのロングヘアーで中肉中背の大学生に見える。
道中身の上話を要求されたが、全て適当な嘘で答えた。
ちなみに設定は小麦にこだわる岐阜のイタリアン料理店の店主だ。
うちの小麦を使ってくれとか言っているが、輸送手段が未だ確立されていないのにどう後ろというのだ。
そもそも私はイタリアンの店主ではない。
畑へ着くと、これまた幻覚のアトランティス人がいた。
アトランティス人の平均のような男だ。筋骨隆々で浅黒い肌。
複葉機のパイロットもこんな男だった気がする。いや、この男だ。
アトランティス男も流暢な日本語で話しかけてきた。
「かおりから聞きましたよ。お手伝いしてくださるとか。もちろんお礼はしますから。」
そういうと大きな鍬を渡された。
畑を耕せということか。
私は幻覚にまでも働かされるのか。
特に会話もないまま夕方になっていた。
手も額も泥まみれだ。牛糞の匂いが髪の毛からもしている気がする。
このまま帰るのは道中臭くてたまらないし、他の乗客にも迷惑だ。
「そろそろ夕食にしましょうか」
草履がしゃべっている。
「今日はあなたのおかげでとても助かりました。明日、種まきの予定なんですが、どうでしょう?宿も食事も用意しますから。」
浅黒い筋肉男が子犬のような瞳で話しかけてきた。
作業をさせられている間にバスも行ってしまっていたようだ。
これは、計画的な監禁の導入なのではないだろうか。
私はこのまま一生ここで働かされる運命なのか。
疲れのあまり自身の運命を呪いかけていたが、奴らは私の幻覚だったことを思い出した。
明日のバスまで時間を潰さなければならない。
幻覚でも腹が膨れて、シャワーが浴びれると思ればそれでもいいかと考えた。
「パン、食べに来てたんですよね。うちで作った小麦を使った自家製のバゲットと、豚肉とレンズ豆のトマト煮込みです。うちの人の大好物なんです。お口に合えばいいんですけど。」
やはり日本女性とアトランティス人は結婚していたのか。
日本でも国際結婚珍しく無くなってきたが、アトランティスでは少し珍しいのではなかろうか。ましてやこんな何もない田舎の農村だ。
日本のような陰湿ないじめなどがなければいいが。
バゲットは香ばしく小麦の香りが鼻に抜ける。
塩のみの味付けと思われるが、焼き加減と合わせそのままで食べられる。
これだ。これが食べたかったのだ。
トマト煮込みとの相性も抜群にいい。
トマトの酸味、豚油の旨味、レンズ豆の甘み、全てをバゲットが吸い込み体に落とし込まれる。
トマトも特色があるものを使用しているのか、酸味がかなり強めだ。
だがその酸味が豚の油のしつこさを消し、豚の旨味は広がるのに後は爽やかに感じる。
アトランティス男はビールを飲みながら日本女にキスをし始めた。
来客中だというのに恥ずかしくはないのか。
日本女の方も抵抗もせずに受け入れている。
こういう場面に遭遇すると、自分がおかしいのではないかという思いに囚われる。
常識とは18歳までに集めた偏見のコレクションのことだというアインシュタインの言葉があるが、やはりその通りだと痛感するのは違う文化の人と交流する時だ。
一宿一飯の恩、という日本古来からの言葉がある。
だがここは、日本から遠く離れた島国アトランティスだ。
日本の神の目も届かないだろう。
次の朝早くに部屋を抜け出し、昨日の続きをサクッと仕上げて逃げるように帰ろうと思った。
しかし幻覚は現実よりもしつこい。
あの夫婦は私よりも先に起きて、私よりも先に作業を始めていた。
「おはようございます。もう少しゆっくりしててくれてもいいのに。」
農家の朝はよほど早いのだろう。
背広組が怠惰に見えてしまう心理は分かるかもしれない。
その後、作業朝食作業昼食作業としたところでバスの時間が来た。
名残惜しくもある。十数年ぶりに農業体験をさせてもらったのだ。
うまい飯もご馳走になった。
心ばかりの日本土産として、AKIRAの単行本を置いていった。
アトランティスに来た、という実感はあまりなかったが、行き当たりばったりの良い旅だった。
あと言うとするならば、帰りの船は2日で日本まで着き、ここ十数年の最速記録になったらしい。
今回の旅行記はこの辺で。
F国U地方カイエンヌ海岸
南半球にある島国。
私の住む大阪からは、飛行機を乗り継いでおよそ23時間の空の旅。
暖かい国でビールを飲もうと思い立ったのは1週間前のこと。
友人とブルブルと震えながら京都を散策していた。
西本願寺と東本願寺とのちょうど真ん中に寺を作るならなんと名前をつけるか議論をしていた。
私が真ん中なら普通に本願寺だろうと言った。
すると友人はそれは出来ないと異を唱える。
浄土真宗の内部分裂の結果本願寺が西本願寺と東本願寺に分かれたのだという。
真ん中にできるのが本願寺と名前がつくなら、真本願寺など頭に文字がつかなければいけないだろうと。
私はそれを聴きながら、日本プロレス界の成り立ちを思い出した。
なので力道山寺ならどうかというと、友人は無視をして歩いて行ってしまった。
こいつはこういうところがある。
しかし寒くてたまらない、熱燗が飲みたいと声をかけると、俺は熱燗が嫌いだと彼は言った。それなら南国へ行こうと友人は言い出した。
そこからは早かった。
観光雑誌を購入し計画を立て、休みの日取りを合わせ、空港へ向かった。
F国は日本に対し、とうもろこしやかぼちゃなどの農作物を輸出している。
逆に日本からは電子機器類と、それから最近は日本酒の輸出が増えているらしい。
有名な品といえば、やはりビールだ。
アメリカのバドワイザー、メキシコのコロナ、アイルランドのギネス、オランダのハイネケン。
世界的に有名なビールは何銘柄もあるが、通はやはりF国のカイジンを好む。
飲み口としては南国らしく軽い口当たりでスッキリとしており、残り香に少し爽やかさがたまらない。
そんなF国のU地方に赴いた我々は、とりあえず宿に向かうことにした。
暑い暑いと思っているが、ついた時刻は現地時間で夕方の17時。この時間帯でこの暑さなら、昼間はどれだけになるのやらと早速憂鬱な気分に飲まれそうだった。
しかしビールを飲みにきた我々にとってはゴールデンタイム。
とはいえ言葉も通じぬ異国であり、あまり冒険もできないため、そそくさと用意を済ませるとホテルの食堂で食事をした。
まずはビール。
これを飲みに来たのだ。
大きな大きなジョッキでカイジンが運ばれてきた。
大柄な現地人が持っても大きく見えるのに、猿の黄色人間がこのジョッキを持とうものなら樽を抱えているように見えるのではないかと恐れ慄いた。
友人との乾杯も一苦労であったが、一口ビールを口に運ぶと南国が押し寄せてきた。
鼻から潮風が抜けていき、胃にヤシの木が生えてくるような、全身でF国を感じた。
さて何を食べようかとメニューを眺めるが、現地語はひとつもわからない。
そして写真なしの文字のみ。
これは詰んだ。
二人で肩を落としていると、ウェイターが料理を運んで来た。
片言の英語を使い受付で日本から来たことを伝えたためか、気を利かせて夕食は郷土料理をたくさん用意してくれていたのだ。
海沿いということもあり、新鮮な海鮮をふんだんに使用しており大変豪勢だった。
私は白身魚の煮物?のようなものが好みだったが、友人は顔をしかめていた。
つくづくこいつはこういうところがある。
またF国の料理の特徴なのか、それともU地方での特徴なのか、不思議な香辛料がどの料理にも使われていた。
何とも日本語では形容し難い香りなのだが、杉の木の香りみたいな感じだ。
新築の家で鉄鍋を素焼きしているような、何というのだろう。
とにかく、やはりエスニックだな〜と酔いの回った頭で考えていた。
私はこの香りが嫌いではないのだが、友人はどうにもその香辛料が苦手なようだ。
料理はおよそ7種類出してもらった。
海老出汁にとうもろこしが入ったスープ。
木の香りのするドレッシングがかけられ知らない野菜が使われたサラダ。
ヤギ肉とヤングコーンと貝のレモン風炒め物。
ひよこ豆他数種類の豆とヤギ肉の蒸物。
カボチャプリン(これだけは確信を持ってそう言える)。
そして、堅い堅いパン。
どれもなぜだかビールに合うような味付けだった。
まあ、ビールは何にでも合うとは思うが。
飲み物についても地元のものがあった。
ビールを飲みに来ていたしカイジンが美味しかったこともありずっとビールのつもりでいたが、
ウェイターがやたらと勧めるもので「コースゥンモ」というこの国の、日本で言うところの焼酎だろうか。
あんまりにも勧めてくるので、友人と少し飲んでみることにした。
酒は文化が反映されるものであると思っている。
アルコールと人類の発展は二人三脚。
紀元前4000年以上前にメソポタミアで偶然出来上がったものと言われており、
はっきりとした記述として残っているものは、紀元前3000年頃にメソポタミアのシュメール人が粘土板にビールの製法を書いたものが知られている。
神事に神に捧げる。仕事後に1日の疲れを癒す。共に酒を飲み友好関係を築く。
世界共通で見られるだろう現象だ。
数千年前から続いている文化が、このたった100年程度の潮流に飲まれて規制されていくのは悲しい気持ちになってくる。
科学がそれほど万能化か。
人間よ、思い上がるな。
俺たちはただの毛の抜けた猿なのだ。
猿なのだから、酒に溺れてしまっても仕方がない。
アルコールの化学式を知らなくとも、酩酊状態の高揚感については誰よりも知っているのだ。
コースゥンモは、火がつくほどに度数が高かった。
翌朝、知らない痣が増えていた。
翌日は街中の散策と、海で美人を眺めながらビールを飲もうと決めた。
街並みは予想を反し綺麗だった。
正直、土剥き出しに野良犬ごろりだと思っていた。
綺麗な石畳で純ヨーロッパ風な街並みだった。
過去ヨーロッパの某国植民地として統治されていた過去があるため、その名残なのだろう。
当時の軍官はこの海沿いの地方にバカンスに訪れていたのだろうか。
制帽軍服を脱ぎ捨ててはしゃぐ筋肉隆々の大男たちの影がそこかしこに溢れている。
しかし私は残念だった。
現地の文化はヨーロッパ風が入り混じっており、また現在はそれが洗練もされているように見える。
しかし、統治前のこの地の景気は、現在とは大きく違ったのではなかろうか。
そんなことを友人に語ると、考えすぎだろと一蹴された。
やはり此奴はこういうところがある。
南国のフルーツをつまみながら歩く街並みでは、住人の笑顔がそこかしこに溢れているのが
見える。
悲しい歴史はあれど、幸せな現在はある。
塗り替えられた文化はあれど、その上に築かれた文化はある。
潮風に吹かれながらカイジンを流し込むと、海辺で遊ぶ子供達の笑い声が駆け抜けていった。
観光名所として有名なコーム教会に来た。
きつい日差しを首筋に受けながら45分間行列に並んでいた。
我々の前に並んでいた家族連れの女の子が舐めていたアイスクリームが、白い石畳にピンクの染みを残していた。
見渡してみれば、そこかしこにカラフルな染みが出来ている。
夏だな、と思った。
教会に入ると、先ほどまでの暑さが嘘のように涼しい。まるで洞窟に足を踏み入れたような感覚。
友人は、これが異教徒に対する冷たさなのだろうとほざいていた。
お前は無宗教だろと言うと、布教する絶好のチャンスに冷遇してくるのだとまだ返してくる。
外がこの暑さ、中に入ったら入ったで暖房でもかけられていたら、私ならブチギレだ。
教会はこれまた白い石造で美しい。
細部まで精密な彫刻が、というわけではなく、自然の形を活かしたような作りだ。
教会の中央には大きな岩が置かれている。
背部のステンドグラスにはオレンジ色の大きな鳥が描かれ、そこから射し込まれる光が白い岩に反射し教会中が明るく照らされている。
信仰の証としてなのか、大きな岩の前面は滑らかになっている。
人々が願うほど磨り減っていく。願える回数は無限に思えても有限ということなのだろうか。
昼食を海沿いのベンチで食べた。
友人が杉の木みたいな香辛料が嫌だというので仕方なくマクドナルドのビックマックだ。
不満をブーブー垂れていると、友人が遠くの砂浜の方を指差した。
美しさとは若さではないが、若さは美しさであると友人と再確認した。
今回の旅行記はこの辺で。
H県N市華高村
年末年始の休みを利用し、久しぶりに北へと足を伸ばした。
寒い時期はやはり雪を見たくなる。
枕草子にもあるように、やはり雪の降り積もる様を眺めることが楽しいと思う。
そんな思いから、H県N市華高村へと赴いた。
昨年頭から続くコロナ禍で旅行も制限されることが多く、商業施設、宿泊施設、観光業者は大きく打撃を受けている。
感染者数の増加と人々の移動の相関が見られることからも、世間から目の敵にされていることは皆さんも承知のことだろう。
一旅行好きとしては、そのような状況は耐えられるものではない。
コロナが治まったとして、その後の旅行先が軒並み潰れているようでは楽しむものも楽しめない。
そんな思いから、リスクを最大限避けられるように対策をし、この度の旅行に挑んだ。
華高村はご存知の方も多いだろうが、北日本有数の温泉地として知られている。
山間の奥まったアクセスの悪い地域にも関わらず、古来より訪れる客が絶えなかったそうだ。
今回私が泊まらせてもらった華高村の山別荘にも記録に残っている。
江戸からはもちろん、京都から公家も訪れていたようだ。さすがは創業400年だ。
この山別荘にはこんな逸話も残っている。
明治の文豪、郷童子兼清は毎年夏にこの旅館に篭って執筆をしていたそうだ。
東北の山間部の為避暑にはもってこいの地であるが、やはり東京からのアクセスは悪い。
そんなに無理してくるには理由があり、出版社の担当編集から隠れるためだったようだ。
筆が遅いため、東京ではいつも締切に追われる生活を送っていたが、さすがの編集者もここまでは追ってこない。兼清にとっては心身ともに休まる安息の地であったようだ。
だが、毎年毎年連絡が取れなくなり、さらには締切破りも当然となっていたある年、怒った出版社の人間が同行して締切をせっついてくるようになった。
部屋は隣で日中机に向かっているときは、後ろで正座し待っている。温泉に入りに行くと部屋を出ればお供しますと一緒についてくる。一人の時間が一切取れなくなったのだ。
そうせっつかれるようではいい原稿も仕上げられないと文句を言うと、それは原稿を上げてから言ってくださいと返される始末だ。
たまらなくなった兼清は夕飯の際に厠に行くと言い、こっそり女将に相談しに行った。
すると女将はこの村のお地蔵様にお願いしてみてはどうかと進めてくる。
当時の兼清はあまり信心深い方ではなかったようで、地蔵などに願ってどうなるかと不満だったそうだ。
しかし日1日と過ぎていくうちに、いよいよ辛抱出来なくなり、藁にもすがる気持ちでその地蔵に拝みに行ったそうだ。
夜遅く、編集者が寝ている隙にと宿を抜け出し、教えてもらった地蔵のところへ着いた。
兼清は夕飯で残しておいた鯛の頭をお供えし、編集者が東京へ帰ってくれるよう地蔵にお願いをした。
目を瞑り手を合わせていると、何やら変な気配がする。不思議と嫌ではないが人でもないように感じる。少し怖くなり目を開けると、もうお供えした鯛の頭がないのだ。
確かに懐から取り出した、そして地蔵の前に置いた。その時の鯛の香りと、まだ少し暖かかったことは覚えていた。何かがあると立ち上がると、何の事は無い一匹の黒い猫が鯛を咥えて森の中へ消えていくのが見えた。
少々馬鹿らしくなり宿へ帰ることにした兼清が、自室へ戻ろうと階段を登っていると、編集者の部屋の襖が閉まるのが見えたそうだ。なんだ編集氏も起きていたのか、厠へでも行っていたのかと抜足差し足で自室へ戻ろうとすると、編集氏の部屋の襖がすこーし開いているのが見えたそう。