F国U地方カイエンヌ海岸
南半球にある島国。
私の住む大阪からは、飛行機を乗り継いでおよそ23時間の空の旅。
暖かい国でビールを飲もうと思い立ったのは1週間前のこと。
友人とブルブルと震えながら京都を散策していた。
西本願寺と東本願寺とのちょうど真ん中に寺を作るならなんと名前をつけるか議論をしていた。
私が真ん中なら普通に本願寺だろうと言った。
すると友人はそれは出来ないと異を唱える。
浄土真宗の内部分裂の結果本願寺が西本願寺と東本願寺に分かれたのだという。
真ん中にできるのが本願寺と名前がつくなら、真本願寺など頭に文字がつかなければいけないだろうと。
私はそれを聴きながら、日本プロレス界の成り立ちを思い出した。
なので力道山寺ならどうかというと、友人は無視をして歩いて行ってしまった。
こいつはこういうところがある。
しかし寒くてたまらない、熱燗が飲みたいと声をかけると、俺は熱燗が嫌いだと彼は言った。それなら南国へ行こうと友人は言い出した。
そこからは早かった。
観光雑誌を購入し計画を立て、休みの日取りを合わせ、空港へ向かった。
F国は日本に対し、とうもろこしやかぼちゃなどの農作物を輸出している。
逆に日本からは電子機器類と、それから最近は日本酒の輸出が増えているらしい。
有名な品といえば、やはりビールだ。
アメリカのバドワイザー、メキシコのコロナ、アイルランドのギネス、オランダのハイネケン。
世界的に有名なビールは何銘柄もあるが、通はやはりF国のカイジンを好む。
飲み口としては南国らしく軽い口当たりでスッキリとしており、残り香に少し爽やかさがたまらない。
そんなF国のU地方に赴いた我々は、とりあえず宿に向かうことにした。
暑い暑いと思っているが、ついた時刻は現地時間で夕方の17時。この時間帯でこの暑さなら、昼間はどれだけになるのやらと早速憂鬱な気分に飲まれそうだった。
しかしビールを飲みにきた我々にとってはゴールデンタイム。
とはいえ言葉も通じぬ異国であり、あまり冒険もできないため、そそくさと用意を済ませるとホテルの食堂で食事をした。
まずはビール。
これを飲みに来たのだ。
大きな大きなジョッキでカイジンが運ばれてきた。
大柄な現地人が持っても大きく見えるのに、猿の黄色人間がこのジョッキを持とうものなら樽を抱えているように見えるのではないかと恐れ慄いた。
友人との乾杯も一苦労であったが、一口ビールを口に運ぶと南国が押し寄せてきた。
鼻から潮風が抜けていき、胃にヤシの木が生えてくるような、全身でF国を感じた。
さて何を食べようかとメニューを眺めるが、現地語はひとつもわからない。
そして写真なしの文字のみ。
これは詰んだ。
二人で肩を落としていると、ウェイターが料理を運んで来た。
片言の英語を使い受付で日本から来たことを伝えたためか、気を利かせて夕食は郷土料理をたくさん用意してくれていたのだ。
海沿いということもあり、新鮮な海鮮をふんだんに使用しており大変豪勢だった。
私は白身魚の煮物?のようなものが好みだったが、友人は顔をしかめていた。
つくづくこいつはこういうところがある。
またF国の料理の特徴なのか、それともU地方での特徴なのか、不思議な香辛料がどの料理にも使われていた。
何とも日本語では形容し難い香りなのだが、杉の木の香りみたいな感じだ。
新築の家で鉄鍋を素焼きしているような、何というのだろう。
とにかく、やはりエスニックだな〜と酔いの回った頭で考えていた。
私はこの香りが嫌いではないのだが、友人はどうにもその香辛料が苦手なようだ。
料理はおよそ7種類出してもらった。
海老出汁にとうもろこしが入ったスープ。
木の香りのするドレッシングがかけられ知らない野菜が使われたサラダ。
ヤギ肉とヤングコーンと貝のレモン風炒め物。
ひよこ豆他数種類の豆とヤギ肉の蒸物。
カボチャプリン(これだけは確信を持ってそう言える)。
そして、堅い堅いパン。
どれもなぜだかビールに合うような味付けだった。
まあ、ビールは何にでも合うとは思うが。
飲み物についても地元のものがあった。
ビールを飲みに来ていたしカイジンが美味しかったこともありずっとビールのつもりでいたが、
ウェイターがやたらと勧めるもので「コースゥンモ」というこの国の、日本で言うところの焼酎だろうか。
あんまりにも勧めてくるので、友人と少し飲んでみることにした。
酒は文化が反映されるものであると思っている。
アルコールと人類の発展は二人三脚。
紀元前4000年以上前にメソポタミアで偶然出来上がったものと言われており、
はっきりとした記述として残っているものは、紀元前3000年頃にメソポタミアのシュメール人が粘土板にビールの製法を書いたものが知られている。
神事に神に捧げる。仕事後に1日の疲れを癒す。共に酒を飲み友好関係を築く。
世界共通で見られるだろう現象だ。
数千年前から続いている文化が、このたった100年程度の潮流に飲まれて規制されていくのは悲しい気持ちになってくる。
科学がそれほど万能化か。
人間よ、思い上がるな。
俺たちはただの毛の抜けた猿なのだ。
猿なのだから、酒に溺れてしまっても仕方がない。
アルコールの化学式を知らなくとも、酩酊状態の高揚感については誰よりも知っているのだ。
コースゥンモは、火がつくほどに度数が高かった。
翌朝、知らない痣が増えていた。
翌日は街中の散策と、海で美人を眺めながらビールを飲もうと決めた。
街並みは予想を反し綺麗だった。
正直、土剥き出しに野良犬ごろりだと思っていた。
綺麗な石畳で純ヨーロッパ風な街並みだった。
過去ヨーロッパの某国植民地として統治されていた過去があるため、その名残なのだろう。
当時の軍官はこの海沿いの地方にバカンスに訪れていたのだろうか。
制帽軍服を脱ぎ捨ててはしゃぐ筋肉隆々の大男たちの影がそこかしこに溢れている。
しかし私は残念だった。
現地の文化はヨーロッパ風が入り混じっており、また現在はそれが洗練もされているように見える。
しかし、統治前のこの地の景気は、現在とは大きく違ったのではなかろうか。
そんなことを友人に語ると、考えすぎだろと一蹴された。
やはり此奴はこういうところがある。
南国のフルーツをつまみながら歩く街並みでは、住人の笑顔がそこかしこに溢れているのが
見える。
悲しい歴史はあれど、幸せな現在はある。
塗り替えられた文化はあれど、その上に築かれた文化はある。
潮風に吹かれながらカイジンを流し込むと、海辺で遊ぶ子供達の笑い声が駆け抜けていった。
観光名所として有名なコーム教会に来た。
きつい日差しを首筋に受けながら45分間行列に並んでいた。
我々の前に並んでいた家族連れの女の子が舐めていたアイスクリームが、白い石畳にピンクの染みを残していた。
見渡してみれば、そこかしこにカラフルな染みが出来ている。
夏だな、と思った。
教会に入ると、先ほどまでの暑さが嘘のように涼しい。まるで洞窟に足を踏み入れたような感覚。
友人は、これが異教徒に対する冷たさなのだろうとほざいていた。
お前は無宗教だろと言うと、布教する絶好のチャンスに冷遇してくるのだとまだ返してくる。
外がこの暑さ、中に入ったら入ったで暖房でもかけられていたら、私ならブチギレだ。
教会はこれまた白い石造で美しい。
細部まで精密な彫刻が、というわけではなく、自然の形を活かしたような作りだ。
教会の中央には大きな岩が置かれている。
背部のステンドグラスにはオレンジ色の大きな鳥が描かれ、そこから射し込まれる光が白い岩に反射し教会中が明るく照らされている。
信仰の証としてなのか、大きな岩の前面は滑らかになっている。
人々が願うほど磨り減っていく。願える回数は無限に思えても有限ということなのだろうか。
昼食を海沿いのベンチで食べた。
友人が杉の木みたいな香辛料が嫌だというので仕方なくマクドナルドのビックマックだ。
不満をブーブー垂れていると、友人が遠くの砂浜の方を指差した。
美しさとは若さではないが、若さは美しさであると友人と再確認した。
今回の旅行記はこの辺で。